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『返校 言葉が消えた日』歐陽ママとお勉強ちゅう♡ #34

『返校 言葉が消えた日』歐陽ママとお勉強ちゅう♡ #34
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中国語映画・ドラマの翻訳や、日本で開催されたアジアBLドラマイベントMCなどに携わり、アジアドラマをこよなく愛する歐陽ママが、注目するドラマの台詞をきりとり、読者の皆様に中国語の表現の面白さなどをお伝えする「歐陽ママとお勉強ちゅう♡」。
目次

戒厳令下の白色テロがテーマだった本作。逆説的に言い換えればそれは「自由」がテーマだったということ。本作の登場人物たちに救いがあったのか、そもそも彼らが救われるとしたらどういう形だったのか、何度考えても分からないけど、結局、この映画が描こうとするものをあたしたちが真面目に考えるきっかけにはなるわけで、それだけでも存在の意義はあるはずよ。そこにない(いない)がために強くその存在が意識させられる、「不在の存在」っていうやつを思い出すわ。

『返校 言葉が消えた日』× チャン先生からの手紙

読書会を主催していたチャン先生がファンに残す手紙。文語的に書かれたたった三行の手紙なんだけど、そこに込められた思いは三行では説明できない。中国語が、「一つひとつの文字がそれぞれに意味を持って、他と繋がり、その関係で新しい意味を獲得する」ということがよく分かる好例ね。現代の話し言葉と文語文にはそれなりの隔たりがあるんだけど、文語には文語の美しさがある。簡単明瞭に見えて深さをもっているからね。入門にはぴったりの手紙、勉強していくわよ。

作品紹介

返校 言葉が消えた日

399069

2019年度台湾映画No.1大ヒット自由が罪と教えられた時代。あなたなら、どう生きましたか?

1962年、独裁政権のもと国民のあらゆる自由が制限されていた台湾。放課後の教室で、いつの間にか眠り込んでいた女子学生のファン・レイシン(ワン・ジン)が目を覚ますと、なぜか人の姿が消えて学校はまるで別世界のような奇妙な空気に満ちていた。校内を一人さ迷うファンは、秘密の読書会のメンバーで彼女に想いを寄せる男子学生のウェイ・ジョンティン(ツォン・ジンファ)と出会い、力を合わせて学校から脱出しようとするが、どうしても外へ出ることができない。廊下の先に、扉の向こうに悪夢のような光景が次々と待ち受けるなか、消えた同級生と先生を探す二人は、政府による暴力的な迫害事件と、その原因を作った密告者の哀しくも恐ろしい真相に近づいていく──。 

出演:ツォン・ジンファ、フー・モンボー、ワン・ジン、チョイ・シーワン、リー・グァンイー、パン・チンユー、チュウ・ホンジャン
監督:ジョン・スー

チャン先生が最後に遺した手紙

“白鹿予水仙” 訳:白い鹿から水仙へ

映画の最後、年老いたウェイが学校にもどり、チャン先生から託されたものを探す。隠されていた手紙はこう書きだす。
“白(ㄅㄞˊ|bái)鹿(ㄌㄨˋ|lù)予(ㄩˇ|yǔ)水(ㄕㄨㄟˇ|shuǐ)仙(ㄒㄧㄢ|xiān)”。白い鹿と水仙。白い鹿はその玉珮をチャン先生がファンに贈ったものよね。いつも身に着けていた装飾品だけど、この玉珮というのは昔は高貴な人が身に着けたもので、金やその他の宝石よりも貴重なものだった。「玉石混交」なんていった言葉にも残っているけど、貴重な物の比喩じゃなくて実在するものなの。いまでも身に着ける人もいるわ。それに古代では「白鹿」は「太平の世」を象徴するものだった。太平を願うチャン先生の思いも見えてくるようね。
そして水仙なんだけど、途中二人がお寺(かな?)で会うシーン、あそこでチャン先生は「水仙はその姿がシンプルで、自分の世界に生き、そして他人の目を気にする必要なんかない。だから好きなんだ」と言っている。この“予”っていうのは「与える」って意味で、「授与」の「予」よ。この部分、「僕から君へ」と訳してもいいかもね。

“今生無緣 來世再見 致自由” 訳:今生では縁がなかったが、来世で会おう 自由のために

それに続くのは“今(ㄐㄧㄣ|jīn)生(ㄕㄥ|shēng)無(ㄨˊ|wú)緣(ㄩㄢˊ|yuán) 來(ㄌㄞˊ|lái)世(ㄕˋ|shì)再(ㄗㄞˋ|zài)見(ㄐㄧㄢˋ|jiàn) 致(ㄓˋ|zhì)自(ㄗˋ|zì)由(ㄧㄡˊ|yóu)”
文語っぽい書き方だって言ったけど、中国語を知らない人にとっては口語より分かりやすいかもしれない。不思議よね。“今生”は「今生の別れ」なんて今でもまあたまには使うし、“無緣”だって「無縁仏」とか残ってるもんね。そして“來世再見”も漢字見れば分かっちゃう。“再見”が中国語では「さようなら」の意味になるって知ってる人も多いと思うけど、実はこれもおおもとの意味は「また会おう」よ。日本ではさようならの代わりに「またね」っていって別れるけどさ、それと同じ。漢文(最近漢文学校で教えないみたいだから歳バレるわね…)でやったの覚えてるかしら「見」は「みる、まみゆ」でどちらも「会う」の意味。「謁見」とか「引見」とか難しい熟語には「会う」の意味で「見」を使う例が残っているわ。こういう文語の面白いところは接続詞を省略できること。だってこの「今生には縁がなかった」、「来世でまた会おう」の二つを結びつけるのは「だけど」以外にありえないものね。そして“致自由”、「自由のために」。あの時代の人々にとって「自由」ってなにを指していたのかしらね。

私たちの自由ってなんだ?

「自由は空気と同じもの。窒息して初めて、その存在に気づく」。これ、「自由」を求める人々が近年よく口にする言葉。あたしたちははっきり言って、吸いたい放題に空気を吸いまくってる時代に生まれたから、空気の意味なんて考えないもの。でも窒息するとどうなるかってことくらいは想像できる。メメントモリって言葉もあるけど、「自由は空気と同じもの」っていうこの言葉、折に触れて思い出してみるのもいいかもしれないわね。

執筆者情報

歐陽(オウヤン)ママ

早稲田大学大学院修了。論文のテーマは台湾の文化。
2012年から2013年にかけて台湾で生活、日本語の先生などしてふらふらする。
新宿二丁目では2021年10月から新しいお店「美麗島」をオープン予定。

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