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“怪談の語り手”という分野を確立した先駆者・稲川淳二の凄さ

“怪談の語り手”という分野を確立した先駆者・稲川淳二の凄さ
『稲川淳二の最凶夜話』(C)2022 リバプール/ユニJオフィース/ビデオプランニング
怪談家・稲川淳二。工業デザイナーとタレントの2つの顔で活動し、80年代に入ってからは舞台での活動も行いつつ、テレビのバラエティー番組にも登場。「オレたちひょうきん族」(1981~1985年、フジテレビ系)「スーパーJOCKEY」(1983~1999年、日本テレビ系)などで知名度も上がり、リアクション芸人としてのポジションも確立していった。そういったタレント活動の中で、“怪談の語り手”としても知られていくことになっていく。

深夜ラジオの「オールナイトニッポン」第2部を担当している時に怪談を披露。そして1986年に「オールナイトフジ」で披露した怪談が反響を呼び、1987年に数篇の怪談を収録したカセットテープを発売すると30万本を超える大ヒットに。当時、落語のカセットテープはあったが、“怪談”というのは他に無かったのではないだろうか。

元々、母親による怪談が稲川の原体験となっているという。娯楽が少ない時代に、子守唄がわりに擬音語や擬態語を交えながら怪談を聞かせてくれた。聞いている人に対して語りかけるということをその時、無意識に教わったのかもしれない。

怪談は、ただただ怖がらせようというものではなく、悔しさや恨み、無念さといった思いが込められていて、切なさだったり、悲しさだったり、時には優しさも感じたり、いろんな感情を共感できるものでもある。稲川がよく言っているのは“怪談とホラーを一緒にしないでほしい”ということ。日本各地に伝わる、たくさんの昔話に通じるものと考えているのかもしれない。

1993年8月13日の金曜日。当時では例を見ない「川崎ミステリーナイト」を深夜に開催。それが現在も続く「稲川淳二の怪談ナイト」の始まりとなった。3年目となる1995年には川崎だけでなく、福岡、石川、新潟、富山、北海道、愛知などでも開催し、その後、どんどん規模を拡大。1997年の段階ですでに7月・8月だけでなく、11月・12月にも開催し、夏という枠を超えていた。継続は力なり、という言葉を体現するかのように、「今年もあいつがやってくる…」というキャッチフレーズとともに、毎年行われる恒例イベントとなった。
現在75歳の稲川。20年前、55歳の時にタレント活動を休止し、怪談家としての活動に専念するようになった。民俗学者で「遠野物語」の作者である柳田國男が新聞社を辞めて民俗学に専念したのも55歳だった。奇しくもそういう共通点があるが、そこから20年で稲川は“怪談”および“怪談家”というものを多くの人により身近なものにしていくことに成功した。

コロナ禍でいろんなイベントが延期・中止になっていく中、「稲川淳二の怪談ナイト」は感染症予防対策をしながら途切れずに行ってきた。2022年に30年目を迎え、2023年も7月8日から31年目というまた新たな境地へと進むこととなる。しかも、2023年のツアー中に通算1000回目の公演を達成する予定だ。特にここ10数年の間に多くの“怪談家”が現れ、それぞれが個性的な語り口で存在感を示し、怪談を広めているという状況になっている。
「やだなぁ、怖いなぁ」という言葉を聞くと、“稲川淳二の語り口調”をイメージする人も多いはず。「おかしいなぁ、おかしいなぁ」「仮にこの方をAさんとしておきましょうか」などもそう。他に、「ひたひたひた」「ざっざっざっ」といった擬音語も特徴的。それと、世間話をしながら、自然と怪談本編に入っていくスタイルも聞き手の興味を引きつける。『稲川淳二の最凶夜話』『稲川淳二の凶恐夜話』『稲川淳二の怨念夜話』などで、その独特の語り口を楽しむことができる。他に、『劇場版 稲川怪談 かたりべ』という作品はフィクションではあるが、彼の語り部としての手法などがよく分かる作品なので押さえておきたい。何年か前に俳句協会が“稲川淳二”を夏の季語に認定しているので、“稲川淳二”をぜひ今の時季に楽しんでもらいたい。

(文・田中隆信)

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稲川淳二 怪談
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