韓国ではミュージカル公演が盛んだ。大学路(テハンノ)というエリアには、ミュージカルや演劇を上演する小劇場が集まっている。それだけに俳優陣の層も厚く、ドラマや映画でおなじみの俳優たちの中にもミュージカル出身者が多い。ドラマ『賢い医師生活』ではチョ・ジョンソク、ユ・ヨンソク、そしてチョン・ミドと主演キャスト5人中3人をミュージカル出身者が占めている。他にも『グッド・ドクター』のチュウォン、『秘密の森』のチョ・スンウ、『不穏』のカン・ハヌル、『ヒーラー ～最高の恋人～』のチ・チャンウク、そして映画『パラサイト』のイ・ソンギュンなどもミュージカル出身者だ。
今作『明洞ロマンス』は、2015年初演の韓国オリジナルミュージカル。以降2016年、2018年、2021年に再演されている。明洞(ミョンドン)区役所に勤めるチャン・ソンホ(ソン・ユドン)は、流れ作業のように仕事をこなす無気力な公務員。上司に命じられて古びた喫茶店「ロマンス喫茶」に都市開発のための立ち退き交渉に行き、1956年にタイムスリップしてしまう。そこで出会ったのは、さまざまな芸術家たちだった。
1956年の韓国といえば、初の国産自動車が生産されたころ。朝鮮戦争は休戦に入っていたが、いまだ外出禁止などが行われていた。マダム(チョ・ジンア)が仕切るロマンス喫茶に集っていたのは、詩人のパク・インファン(ユン・ソクォン)、画家のイ・ジュンソプ(キム・テファン)、そして文学少女のチョン・ヘリン(ソ・エリム)。そこでソンホは自由に生きる芸術家たちと交流し、夢を見ることの大切さを知る。
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劇中の登場人物である詩人のパク・インファン、画家のイ・ジュンソプ、文学少女のチョン・ヘリンは韓国では知られる実在の人物。彼らの生きざまを知ることで、この作品への理解が深まるはずだ。
詩人のパク・インファンはオシャレを追求していた「モダニスト」で、夏でもスーツとロングコートを着ていたという。作中でもスキットルを持ち歩き、酒を「生命水」と言っていたようにジョニー・ウォーカー(ウィスキー)とキャメルのタバコを愛した。彼の代表作『木馬と熟女』へのオマージュが作中に登場する。1956年、急性アルコール中毒性心臓発作で29歳でこの世を去った。
画家のイ・ジュンソプは日本の美術学校で学び、そこで出会った山本方子と韓国で結婚。2子を儲けるが、朝鮮戦争や貧困で日本と韓国に離れて暮らすことに。2人は離れている間に、200通もの手紙をやりとりしていた。1956年に39歳で死去。代表作は劇中にも出てきた牛の絵で、『戦う牛』『白い牛』『動く白い牛』などがある。存命中はお金に恵まれなかったが、没後はアジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)に作品が収蔵されるなど、その作品は億の価値に。現在は美術館が建てられ、韓国の国民的画家と呼ばれる誰もが知る存在。彼の半生は『李仲變』という映画にもなった。
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文学少女のチョン・ヘリンは、後に翻訳家、エッセイスト、大学助教授に。彼女が翻訳したドイツ小説は「チョン・ヘリン・シンドローム」という言葉ができるほどブームとなったが、1965年、31歳で自死。没後に出版された『そして何も言わなかった』は韓国を代表するエッセー集といわれている。劇中でヘリンとソンホが歌う「ジプシーのように」は、彼女のエッセー集『そして何も言わなかった』の「ジプシーのように」からのオマージュ。ニーチェの言葉を引用したチョン・ヘリンのエッセータイトル『このすべての苦しみを再び』もヘリンの歌う歌詞として引用されている。また、劇中のヘリンは全身黒服、黒味のある口紅に、黒のマニキュアをしているが、実在のヘリンも黒服愛好家だったそう。
熱く命を燃やした芸術家たち。彼らを見れば、忘れかけていた情熱を思い出せるかもしれない。
（文・坂本ゆかり）
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